Cycling Road & Route - Cycling Tomorrow Japan

さいたま歴史探訪サイクリング -映画「のぼうの城」散策-

ロード・コースのタイプ
一般道,公園・アミューズメントパーク,自転車道
全長
約80km
所要時間めやす
6時間

ルートマップ

忍城跡
埼玉県行田市本丸17−23
関東七名城に謳われる戦国の世を生き抜いた城。別名:忍の浮き城、亀城。 戦国時代:文明10年(1478)頃、地元の豪族であった成田正等・顕泰父子がこの地を支配していた扇谷上杉家に属する忍一族を滅ぼし、築城したといわれています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東平定の際、城主・成田氏長は小田原城にて籠城。従兄弟の成田長親を城代とし、家臣と農民ら3,000の兵が忍城に立てこもった。豊臣方の忍城一望する近くの丸墓山古墳(埼玉古墳群)に置き、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定し、総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設し、攻め続けたが忍城はついに落城せず、結局は小田原城が先に落城したことによる開城となり、城側は大いに面目を施すことになった。このことが、忍の浮き城という別名の由来となった。
昨年(2012)に公開された映画「のぼうの城」の舞台になった城です。 現在は、江戸時代に作られた御三階櫓を再建し行田郷土博物館になっています。
古代蓮の里
埼玉県行田市小針2375番地1
古代蓮の里は、ふるさと創生事業 の一環として、行田市の天然記念物に指定されている “古代蓮” をシンボルとする公園を古代蓮の自生する付近に「古代蓮の里」として、子どもからお年寄りまで楽しめるよう整備しました。古代蓮の里内には古代蓮会館やタワー、行名産品コーナー等が有ります。
成就院
埼玉県行田市長野7618
正式な名称は五智山 成就院(ごちざん じょうじゅいん)」と号する真言宗智山派の寺院です。本尊は不動明王です。当寺の開創は今から約440年前の天正年間(1573~)に僘宥阿闍梨(しょうゆうあじゃり)が竣功したと伝えられています。 現在の本堂は平成11年に落慶。施工された寺社番匠(宮大工)さんが「法隆寺の鬼」と異名をとった西岡常一さんの弟子小川三夫氏です。享保十四年(1729)芳宥(ほうゆう)和尚の代に建立したと伝えられる三重塔があり埼玉県指定有形文化財となっています。塔内には忍城主阿部豊後守忠秋公の帰依仏といわれる葉衣観音が安置されています。
成就院・三重塔
この三重塔は、享保14年(1729)に建立されたもので、昭和56・57年に解体復原工事を実施し、現在に至っています。塔内には、忍城主阿部豊後守忠秋より拝領と伝えられる葉衣(ようえ)観世音菩薩が本尊として安置されています。
地方の大工の手による特色ある塔で、1間4面、初重(しょじゅう)柱間一間、銅瓦棒葺の構造となっています。各層とも二手先の料栱(りょうきょう)、吹寄棰(ふきよせたるき)一軒、各種箱型の積み上げで、塔の中心柱は2層で止めて下に降ろさず、内陣には須弥檀(しゅみだん)を設け、格天井(ごうてんじょう)を組み、花鳥の図を飾っています。 享保時代の強い観音信仰を背景に建立されたものと思われますが、江戸時代の三重塔は埼玉県内には3基のみで大変貴重なものと言えます。
形状総高11.18m、間口奥行2.24m、相輪高2.92m
石田堤
行田市堤根地
天正18年(1590)年の関東平定において、忍城城主・成田氏長は小田原城に籠城し、残った士卒・兵・地元農民ら三千が忍城に立て籠った。攻城の総大将に任じられた石田三成は力攻めを行ったが、周囲は沼や深田という足場の悪さにも守られ、城攻めは遅々として進まなかった。そのため、三成は忍城を望むことができる丸墓山(現・丸墓山古墳)の頂きに本陣を構え、水攻めを発案し忍城周囲に総延長28kmにも及ぶ堤を築いた。 総延長28kmに及ぶ堤をわずか1週間で作り上げたと言われるが、実際には自然堤防や微高地を巧みに繋ぎ合わせたものと思われる。堤が完成した後、利根川・荒川の水を引き入れたが、城にはあまり水が溜まらなかった。 その後、増水したため、堤が決壊して石田方に多数の溺死者が出て水攻めは失敗に終わった。
埼玉古墳群
古墳群は5世紀末から7世紀にかけて成立したと考えられている。
この地に古墳のあることは、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』や『忍名所図会』(おしめいしょずえ)に記されている。また、付近に多くの古墳が存在したことは、「百塚」という字名からも知られる。 1893年(明治26年)には将軍山古墳が発掘された。昭和10年(1935)の埼玉村古墳群調査で、前方後円墳11基、円墳11基が確認されている。昭和13年(1938)8月8日には、9基の大型古墳が国の史跡に指定された。昭和41年(1966)以降、整備がはじめられ、昭和43年(1968)8月に稲荷山古墳がその事業の一環として発掘調査された。この時出土した鉄剣から、昭和53年(1978)9月の保存処理中に金象嵌銘文が検出されたことで、この古墳群が日本国中に知れ渡ることとなった。 その後、さきたま風土記の丘という公園として整備され(現在のさきたま古墳公園)、古墳のほかに移築民家(旧遠藤家、旧山崎家)、さきたま史跡の博物館、はにわの館(実際に埴輪を作ることができる)などがある。

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