Cycling Road & Route - Cycling Tomorrow Japan

さいたま歴史探訪サイクリング -幸手権現堂堤曼珠沙華観賞散走-

ロード・コースのタイプ
一般道,公園・アミューズメントパーク,自転車道
全長
約50.3㎞
所要時間めやす
約6時間
高低差・起伏
平坦なコース

【下野田の一里塚】
埼玉県白岡市下野田
下野田の一里塚は日光御成街(道県道さいたま幸手線)沿いに造られ、県の文化財に指定されています。日光御成街道の両側に一つずつ一里塚があります。上り線の方にある一里塚は少し小ぶりです。両側に塚の残る一里塚としては県内唯一です。日光御成街道は将軍が日光東照宮に参詣する時に使用する街道です。この街道で将軍の宿泊先が岩槻城でした。
下野田の一里塚は日本橋から11番目の塚(11里)で、約43kmの距離にあるそうです。

【御成街道道しるべ】
幸手市大字上高野2775 地先
琵琶溜井(びわだめい)堰に向かう十字路の角に文化14年(1817)の馬頭観世音菩薩がある。道標を兼ねており、「史跡御成街道道しるべ」として町指定文化財になっている。左側面に「右日光 左いわつき」、右側面に「くき 志ようぶ かず道」と彫られています。

【幸手宿】
現在の幸手市中部から北部にかけての旧街道筋付近にあたります。
日光街道の江戸・日本橋から数えて6番目の宿場でした。
元々奥州に通じる渡しがあった場所として古くから栄えていたそうです。
日本武尊が東征に際して「薩手が島」(当時この近辺は海だったという伝説があります。)に上陸、中4丁目にある雷電神社に農業神を祀ったという記述が古書に残されています。鎌倉時代には鎌倉街道が通じ、軍事・交易上でも交通の要衝として栄えていました。
室町時代以降は一色氏の領地となり、現在の天神神社付近に陣屋が築かれていたそうです。 江戸時代になると、一帯は江戸幕府直轄の天領となり、日光御成道との合流点として、さらに筑波道が分岐する宿場町として繁栄しました。
なお、この頃に、それまで田宮の庄と呼ばれていた町の名前が幸手となった。1843年(天保14年)当時の人口は3,937人、家数962軒、本陣1、脇本陣1、旅籠27軒であった。両隣の杉戸宿や栗橋宿と比較すると、2倍以上の宿場規模を誇っており、純粋な宿場としては千住、宇都宮、陸奥白川、越ヶ谷に次ぐ大きさでした。

【権現堂堤】
江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として築かれたものと言われています。かつては6kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていました。また、1876年(明治9年)に明治天皇が東北巡幸の際にお立寄よりされたことから、行幸(みゆき)堤とも呼ばれています。利根川や江戸川の流路変更に伴い、権現堂川は明治時代の終わりに締め切られてしまい、1933年(昭和8年)に廃川となりました。そのため、堤防は荒れ果て、堤防の桜は終戦前後の混乱や燃料にするために、その多くが伐採されてしまった。

【鷲宮神社】
埼玉県久喜市鷲宮1-6-1
出雲族の草創に係る関東最古の大社です。由緒は神代の昔に、天穂日宮(アメノホヒノミコト)とその御子・武夷鳥宮(タケヒトナリノミコト)とが、昌彦・昌武父子外二十七人の部族等を率いて神崎神社(大己貴命・(オホナムチ))を建てて奉祀(ホウシ)したのに始まります。次に天穂日宮の御霊徳を崇め、別宮を建てて奉祀した。この別宮が現在の本殿です。 また、栃木県栃木市には「下野国鷲宮神社」があるため、ここ鷲宮神社を便宜上「武蔵国鷲宮神社」と呼称することがあります。
中世以降は、関東の総社また関東鎮護の神として、武将の尊崇が厚く、歴史上有利な武将だけでも藤原秀郷・源義家・源頼朝・源義経・北条時頼・北条貞時・新田義貞・小山義政・足利氏歴代・古河公方・関東管領上杉氏歴代・武田信玄・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康等があげられ、武運長久等を祈る幣帛の奉納や神領の寄進、社殿の造営等がなされた。なかでも江戸時代には、四百石の神領を与えられ、代々の将軍の名で朱印状が残されています。
重要無形民俗文化財(国指定)
鷲宮催馬楽神楽
鷲宮神社で奉演される「鷲宮催馬楽神楽」は、関東神楽の源流とされています。この神楽の始行年代は明らかではありませんが、鎌倉時代の史書である『吾妻鑑』に、建長3年(1251年)4月に鷲宮神社で神楽が行われたことが書かれています。しかし、これが現在の鷲宮催馬楽神楽と同一のものかは明らかにされていません。江戸時代の享保以前には三十六座の曲目がありましたが、それを時の大宮司であった藤原国久によって、現在の十二座の曲目に再編成されたとされています。実際は、十二座の曲目以外に、外一座と番外一座、それに端神楽も演じられます。 この神楽は、一社相伝の社伝神楽で、神楽を奉仕する家柄は代々世襲し、神社より知行として田畑三反歩が与えられていた。しかし、昭和に入ってから、神楽を行う神楽師が減少し始め、昭和20年代に入ると、伝承者が白石国蔵、ただ一人となってしまい、神楽は消える危機に瀕してしまいましたが、昭和30年(1955年)町内の若者十数人が集まって「鷲宮神社神楽復興会」が組織され、白石の指導により神楽が伝承され、消滅の危機を何とか乗り越えました。この「鷲宮神社神楽復興会」は、「鷲宮催馬楽神楽保存会」と名を変え、今でも伝承活動を行っています。

その他、南北朝時代の太刀(国指定重要文化財)や銅製双鶴蓬莢文鏡・銅製桐文方鏡・銅製御正体・鷲宮神社文書が県指定有形文化財になっています。

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