Cycling Road & Route - Cycling Tomorrow Japan

りんりんロード散走~真壁ひな祭り編~

ロード・コースのタイプ
自転車道
全長
41km
所要時間めやす
約4時間
高低差・起伏
平坦なコース

つくばりんりんロード
正式名称は茨城県道501号桜川土浦自転車道線。茨城県桜川市犬田から茨城県土浦市川口を結ぶ40.1kmの県道です。 1987年(昭和62年)3月31日(国鉄分割民営化と同日)に廃線になった筑波鉄道の跡地を自転車道として整備し自転車道を作りました。
総工事費は80億7千万円。
かつて「筑波鉄道の駅」があった跡地の一部を整地・公園化し、水飲み・トイレ・ベンチなどを整備した休憩所(旧雨引駅、真壁駅、筑波駅、常陸藤沢駅、虫掛駅)が設置されています。

アメリ
かわいらしい魔女の人形に迎えられて、どっしりとした焦げ茶色の木の椅子に座れば、魔法にかけられたように時間を忘れる。 ランチは1200円でサラダとデザート、ドリンク付き。煮込みハンバーグやちょっぴり辛い「大人のナポリタン」、ピザトーストなど懐かしさを感じる軽食が充実。「デザートプレート」は2つの焼き菓子に冷菓も付いて800円。 「お客様がくつろげる空間にするため、少しずつディスプレーを変えています。わざわざこの店を選んできてくれることがうれしいから」と、映画アメリのようなワクワク感と「みんなを幸せに」という思いがぎっしり。
住所:茨城県桜川市真壁町白井62-2  電話:0296-55-5335

旧真壁町
茨城県西部に位置し、面積は63.40km²地元で江戸時代から良質の御影石の産地として知られ石材店が約50軒有り石材加工業と農業が盛んな町です。
歴史は古く、承安2年(1172年)には大掾直幹の子・長幹が真壁郡に入って真壁氏を名乗り、郡家の場所に築城した。以来真壁氏の居城として続きました。後に佐竹氏の家臣となった真壁氏が氏幹の代に出羽国秋田に移った後、浅野長政が隠居料として同地などを拝領し真壁藩を立藩。元和8年(1622年)、浅野長重は加増され、真壁は領有し続けるものの常陸笠間城へ移動となり、真壁城は廃城となりましたがその後も陣屋が置かれていました。城門のうち薬医門が各々一棟、楽法寺黒門(旧大和村)・個人宅表門(旧協和町)として移築され現存しています。陣屋があったところを中心として、市街地には古い町並みが広がっており、国の登録有形文化財建造物の数は100を軽く超える。また、各家や商店などでは2003年から町おこしによる雛祭が行われることで知られる。町南部にある筑波山は、県内でも観光地として有名である。 2005年10月1日、近隣の岩瀬町、大和村と合併し、桜川市となりました。

〇400年前の町割り
真壁町が発行している散策マップ「古絵図で巡る真壁のまち」をよく見ると、江戸時代後期の真壁町屋敷絵図と現在の道が重なっています。400年前から道幅や区割りに至るまでほとんど変わっていない真壁。江戸時代の人々の息づかいさえ聞こえてきそうな街なのです。

〇100棟の登録有形文化財
真壁の登録有形文化財は、合計100棟。江戸時代から昭和初期にかけて建てられた貴重な登録有形文化財の建物が、街中に点在しています。中には、500坪もの敷地内に合計9棟の登録有形文化財を有するお宅も。そして160年前に建てられた商家がお花屋さんとして活用されるなど、住宅としてはもちろん店舗として現役の建物も少なくないのです。 ○潮田家
江戸時代から明治期に掛けて呉服・雑貨品の売買で茨城一の豪商として名を成し、「関東の三越」と呼ばれていました。 見世蔵・袖蔵・脇蔵・離れ(別荘)の全てが国指定登録有形文化財。 潮田家の前の道路角に「真壁町道路元標」が有ります。ここが真壁の中心地。 ○道路元標
大正8年(1919)に公布された道路法施行令で、市町村単位での道路の起点・終点および町村の位置を示す指標として設置が義務付けられたそうです。 個々の道路元標の設置場所は各市町村の裁量に任され所在がはっきりとする場所に設置されたそうです。例えば、市町村の中心部や市町村役場の前、役場付近の主要道路などがおおいです。 最近はいろいろな理由で本来あった場所から移動している事が多いです。 〇まかべすいとん
石の産地・真壁は、古くから小麦の産地でもありました。そこで、町興し料理としてピックアップされたのが、すいとん。“美味しいでしょ!?”という方言“うまかっぺ!?”と“真壁(まかべ)”の地名を組み合わせたネーミングで売り出し中です。「割烹 二葉」、食堂「まごころ亭」、中華料理店「みかど」、「焼肉 一喜」など、10軒以上の様々なジャンルのお店がすいとんメニューを開発しています。

〇五所駒瀧神社
桜川市真壁町山尾503   平安時代の長和3年(1014)の創建と伝えられています。承安年間(1171~74)には鹿島神宮の祭神武甕槌命の分霊を祀り、真壁氏の氏神ともなりました。 約400年の歴史を持つ真壁の祇園祭はこの神社の夏の祭礼です。毎年7月23日から26日まで町内をあげて盛大に行われます。国選択無形民俗文化財にも指定されています。
〇関東で唯一の梵鐘の鋳造所
鋳型を造る良質の砂と粘土があるこの地で、鎌倉時代に創業。現在の当主で37代目です。工程が多く通常で4ヶ月、長ければ1年もかかる梵鐘造り。作業の9割を占める鋳型造りは、指紋ひとつ残せないため繊細さを要します。鋳型で象った鐘は、一体成型。塗装をせず、化粧も施さないのが小田部鋳造の伝統です。 小田城
鎌倉期から戦国期まで小田氏の居城であり、その始まりは小田氏の祖八田知家が文治元年(1185年)に常陸守護に任命されて当地に移って居館を構えたことによると云われています。 その後、南北朝期には、当主小田治久が南朝方に属し、小田城は常陸南部における南朝方の拠点となり、北畠親房や春日顕国なども入城しています。
下って戦国時代の弘治・永禄年間、当主小田氏治は佐竹氏・多賀谷氏・真壁氏や越後の上杉謙信、小田原の後北条氏らと抗争を繰り返した。後北条氏と結んだ小田氏治は、永禄7年(1564年)に山王堂の戦いで上杉謙信に敗れるなど苦戦を強いられ、激しい小田城争奪戦が繰り広げられる[1]。天正元年(1573年)(永禄12年説有り[2])の手這坂の戦いに敗れ、小田城は佐竹氏のものとなり、翌元亀元年に太田資正が城主になり、同三年に資正の子の梶原政景が城主になった。のち、佐竹氏の一族小場義宗が城主になったが、慶長七年(1602年)に佐竹氏の秋田移封に伴って廃城になりました。 昭和10年6月7日、城跡周辺約21.5ヘクタールが国指定史跡に指定された。 昭和59年つくば市による「保存管理計画」を皮切りに始まり、1997年(平成9年)から発掘調査が実施され、三重の堀や大小の曲輪が東西500m、南北600mに渡って巡らされていたことが判明しました。 平成16年から本格的な調査を開始 平成26年には中世の小田城の姿を復元した歴史広場として再生される予定。

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