Cycling Road & Route - Cycling Tomorrow Japan

さいたま歴史探訪サイクリング -日高・巾着田&高麗神社散走-

ロード・コースのタイプ
一般道,公園・アミューズメントパーク,自転車道
全長
約90㎞
所要時間めやす
約7時間

【西武安比奈線】
1925年(大正15年)2月15日に開業し、埼玉県川越市の南大塚駅から同市内入間川沿いの安比奈駅までの西武鉄道の貨物線で主に入間川から砂利を砕石し運んでいましたが、入間川での川砂利の採取が1967年(昭和42年)に禁止された事にともない路線は休止されました。一時期、西武鉄道の貨車の留置・解体に使われたこともありましたが、路線としては復活も廃止もされることがなく、長らく休止されたままとなっています。あくまでも「休止中」周囲の道路の橋脚が建築限界を侵食して建設されていたり、線路が寸断されている個所も多数存在していたりと、現状では列車の運転は不可能であり、実質的には廃止状態です。

【サイボクハム】
1946年(昭和21年)に創業、種豚の育種改良を中心とする牧場としてスタートし、1975年(昭和50年)に長年の育種改良でゴールデン・ポークが出来ました。 1983年(昭和58年)に現在のレストランがオープン、その後は地場産野菜の直売施設やパークゴルフ場、陶芸教室、やすらぎ広場などを次々オープンさせ現在に至っています。

【巾着田】
日高市内を流れる高麗川の蛇行により長い年月をかけてつくられ、その形がきんちゃくの形に似ていることから、巾着田と呼ばれるようになりました。 地元では川原田と呼ばれていて、8世紀にこの付近に移り住んだ渡来人が、大きく湾曲した高麗川を利用してこの地を開墾して田を作り、稲作を伝えたと言われていいます。 直径約500メートル、面積約22ヘクタールの川に囲まれた平地には、現在は菜の花、コスモスなどの花々が咲き、中でも秋の曼珠沙華は500万本も群生していて辺り一面が真紅に染まり、まるで赤い絨毯を敷き詰めたようです。

【高麗神社】
元正天皇霊亀2年(716年)武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任した高麗王若光(こまのこきし じゃっこう)は、未開の原野であったこの地に大陸文化を伝え、各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1,799人とともに当地を開拓しました。 若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀り高麗神社が創建されたといわれています。 高麗神社は、若光の子孫が代々宮司を務め、現宮司は60代目になります。 「出世明神」と広く知られ、現在は年間約40万人の参拝があります。

【高麗住宅】
高麗住宅は高麗神社の神職を代々務めてきた高麗家の旧家で、住宅は境内の隣接地に在り、建築年代は、慶長年間(1596年~1615年)と伝えら、東日本の民家の中では古い形を遺している重要な例とされ、昭和46年(1971)6月に重要文化財に指定されました。

【島田橋】
埼玉県坂戸市島田と同県東松山市宮鼻の間の越辺川に架かる木製の冠水橋です。 この橋がある場所は江戸時代当時には、川越・児玉往還と千人同心街道が合流、分岐する所にありました。しかし、明治時代初期頃まではこの場所に橋は架けられず、島田の渡しといわれた渡し船による連絡でした。 明治初期頃に木製の橋が架けられ越辺川両岸間の連絡が容易になりましたが、1920年にここより約600m上流に行った所に高坂橋(現在の国道407号の橋)が架かると、両岸間連絡の主流は高坂橋に取って代わってしまいました。この位置関係によって当橋は鋼製やコンクリート製に架け替える許可が下りずに木製のままとなっています。 増水による流失や木材の腐食などによる劣化で幾度も架け替えや補修が行われ、近年では2014年(平成26年)の台風で流失したが今2015年(平成27)5月に架け替えられました。都心から交通の便がよいことから、テレビや映画のロケーション撮影に度々使用されています。

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