Cycling Road & Route - Cycling Tomorrow Japan

ジョンソンタウンへ散走 ~入間基地航空祭~

ロード・コースのタイプ
一般道,公園・アミューズメントパーク,自転車道
全長
約70㎞
所要時間めやす
約5時間

【ジョンソンタウンについて】
1938年(昭和13)頃、現在の入間基地にあった陸軍航空士官学校に勤める将校たちのために周辺に平屋の日本家屋を建設したのが始まり。1945年(昭和20)、陸軍航空士官学校はや将校住宅は進駐軍に接収されジョンソン基地となり、1950年(昭和25)の朝鮮戦争開戦に伴う米軍増派に伴い、米国は基地周辺の民有地にも米軍人用の住宅建設を求めた。1954年(昭和29)、住宅建設を請け負った磯野商会により、米軍人向けに上り框(あがりかまち、玄関の段差)のない米軍ハウス24棟が建設された。1978年(昭和54)米軍がすべて撤退したことに伴い、米軍人用住宅が不要となったため入間市に返還された。間もなく土地・建物は磯野商会に売却され、一般向けの賃貸住宅として利用されたものの、老朽化が進んだことから借り手がいなくなり、以後廃墟となった。1996年(平成8)頃から磯野商会によりリフォームが進められ、再び賃貸住宅として利用されるに至った。2015年(平成27)5月、平成27年度都市景観大賞都市空間部門において大賞(国土交通大臣賞)を受賞した。

【入間基地について】  1938年(昭和13)5月 所沢のあった陸軍所沢飛行場にあった陸軍航空士官学校分校が入間郡豊岡に移転したことから歴史が始まる。その後1940年(昭和15)1月陸軍豊岡飛行場が完成して航空兵科将校の養成を行った。  1945年(昭和20)9月には太平洋戦争の敗戦によりアメリカ陸軍航空軍第5空軍が進駐し、施設を接収して第41航空師団司令部を置いた。1958年(昭和33)航空自衛隊中部方面隊司令部と中部航空警戒管制群が置かれて航空自衛隊入間基地が開設された。 1963年(昭和38年)飛行場の管理運用が日本側に返還され、現在に至る。
主な所属機体は下記のとおり。
電子作戦群(EB-11・EC-1)
飛行点検隊(FC-11・U-125)
司令部支援飛行隊(T-4・U-4)
第2輸送航空隊(C-1)
入間ヘリコプター空輸隊(UH-47)

【入間川自転車道について】
埼玉県道157号川越狭山自転車道線は、川越市内の埼玉県道155号さいたま武蔵丘陵森林公園自転車道線(荒川自転車道)の入間大橋東詰を起点に、入間川沿いを通り狭山市の国道299号豊水橋を終点とする全長約22.6kmの、川越と狭山を結ぶ県道(自転車歩行者専用道路)である。起点から埼玉県道15号川越日高線の初雁橋までは右岸を、初雁橋から終点までを左岸を通る。
●区間
入間大橋-5.01km→釘無橋-3.77km→ 平塚橋-1.24km→雁見橋-2.09km→初雁橋-3.52km→安比奈親水公園-3.7km→ 狭山大橋-1.99km→新富士見橋-2.13km→豊水橋

【川越電気鉄道】
1902(明治35)年川越第2番目の鉄道として川越馬車鉄道が大宮~川越間が開業されました。 その後、車両基地の隣に水力発電所を建て川越一帯への給電と鉄道の電気化を目的、 1906(明治39)年に大宮~川越久保町間全長12.9kmの電気鉄道に変えました。 電車は両終端駅を所要50分で結び、一日28往復していたとそうです。 水力電発は全国系の電力会社、帝国電灯に吸収されてしまいますが、鉄道部門につい ては帝国電灯に経営の意思が無かったため、別会社:西武鉄道(旧)を興し、そこに分 離譲渡されました。 その後、川越電鉄の区間は川越東線と呼称され、後に西武大宮線となりましたが、 1940(昭和15)年、国防上の重要路線として急ピッチで建設された省線:川越線が開通 すると、西武大宮線はその影響をまともに受け、翌年には廃止に追い込まれてしまい ました。 川越~大宮間29分と、距離の長いわりに短時間で走る国鉄に対し、小さなのんびりと 走るこの電車に到底勝ち目はなかったようです。

サイクリングロード・サイクリングコース情報 > 埼玉